asamiXの毒親ダイアリー

人もうらやむ仲良し親子でした。 休日には、ショッピング・ランチ。 お洋服のシェア。 周りからは、若々しくステキな母と言われていました。 でも、本当は・・・ とても息苦しかったのです。

物心ついた時から不眠症

医学的には、不眠症ではないかもしれませんが、物心がついた時から、とにかく寝つきが悪かったです。幼少期のお昼寝さえ寝つきが悪く、眠れませんでした。

夜中にうなされて飛び起きることもありました。

その結果、起きているべき時間にウトウトしてしまい

「そんなことしているから、夜に眠れないのよ」と母親から叱られていました。

 

母親よりある時期から

「寝つきが良くなるから・・・」という理由で市販の風邪薬を飲まされるようになりました。風邪をひいたわけでもないのに何故?と思いましたが、言われるままに飲んでいました。

 

パッケージに書いてある注意書きが目に入り

”子供は1回2錠まで”

”2週間以上服用しても改善が見られない場合、病院へ”

とありました。(期間については記憶違いかもしれません)

私は子供心にも3錠は飲まされ過ぎているし、ずっと飲んで良い物ではないと理解ができました。

風邪薬を飲んだからと言って眠れるようになったわけでもありません。当時、風邪薬は母親の目の前で飲まないといけませんでしたので、飲んだふりはできません。

 

このままでは自分の体に変なことが起きる!!

その事だけは幼いながらも理解しました。

私「最近、寝られるようになってきたから、風邪薬はやめたい。」

と申し出ました。

母親「アンタが眠れないというから、せっかく買ってあげていたのに・・・」

と恩着せがましく言い、引き続き飲むように説得してきましたが、飲む意思がない事を徹底的に示しました。

 

思い返せば、小さい頃は癇癪がひどいからという理由で 癇癪に効くというお薬も飲ませられていました。

薬を飲ませたぐらいで簡単に子供が自分の思いどおりになると考えていたのですね。

眠れないのも癇癪も、日常に安心・信頼がなかった為だと思います。

 

今は、安心・信頼のある人々に囲まれて熟睡しています。

お花が嫌い

卒業式、入学式、プレゼント、手土産としてお花をもらったり、あげたりすることは多いと思います。私も、もらったりあげたりすることはあります。

しかし、本当はお花が嫌いなのです。

 

子供の頃帰宅をした時に、お花が飾ってあるのに気が付かないと、

母親「お花に気が付かないの?気の付かない子だね。そんなのじゃ女の子としてダメだよ。」

とよく叱られました。

母親はお花が大好きでしたので、よく飾っていましたし、花瓶の中で生け方を変える(配置換え)のもよくしていました。

学校へ行く時と帰宅時に お花の配置が変更されているのに気が付かないと、

母親「情緒のない子だね。ほんとにダメだ。」

と言われました。

母親が渾身で作成した生け花の作品に、気が付かなかった時は殴られました。

そんな環境でしたので、帰宅時はいつもお花があるかどうか常にチェックしていました。

チェックミスがあると どんな制裁を受けるかわかりません。

お花=恐怖

お花に気が付かない=ダメ人間

という図式が頭の中でできていました。

 

お花見も誘われたら行きますが、花より団子派なのです。

 

自分で生活をするようになってからは、お花を気にしなくて良くなったのでとても気楽です。たまに頂いたお花を飾ることはありますが、お花が身近にあると落ち着きません。視界に入らない場所に飾ります。

 

お花を見るのは好きだけど、花粉症で嫌いという方はいらっしゃるでしょう。

多くの方が美しさに魅了され 癒されるというお花。

でも、私にとってはイライラさせられる存在です。

お花には、何の罪もないのに・・・

テスト中に体調不良

短大時代、論文のテスト中に腹痛がやってきました。

 

原因は、腐った”さつま揚げ”です。味もかなり変わっていましたが、母親が提供したものを食べないという選択肢は私には与えられていませんでしたので、仕方なく食べました。

 

論文 書きたいことはあります。時間もあります。でも、あまりの激痛に鉛筆が進みません。でも、書きたい。そんな葛藤を抱えていました。

だけど、どうしてもトイレに行きたくなってしまい、我慢が限界を超えました。

 

論文を途中で放棄する結果となりました。

 

後日、担当の先生から呼び出しがありました。

「あさみさん、あなたはテストを途中で退席したそうですね?文章が接続詞で終わっています。何を書きたかったのですか?」

と質問されました。

正直にトイレの為の退席であったことと、書きたかった内容をお伝えました。

「えー!!それを書きたかったの?それ書けていたら”秀”だったよーーー!!」

と先生は頭を抱えられておっしゃられました。

単位はもらえましたが、残念な成績となりました。

 

それ以来、大切なことがある前は極力 母親の作った物は食べないようにしました。

TV番組の選択の自由がない

子供時代、“教育上よろしくない”と言われる番組を観せない家庭はあると思います。

しかし、我が家では子供時代よりも成人して社会人になった私の観る番組を母親が決めていました。

 

当時、流行していたキャリアウーマンもの、男女が平等に恋愛するものは禁止。

出演者が母親の好きな人でないとダメ。

お勧めは、古風に男性に女性が3歩下がってついて行き、目上を敬う言葉遣いをして、お父様の為に、お母様のために・・・が好きであった。

つまり、

安全に観られるのは時代劇ぐらいでした。

でも、流行りの番組も観たいです。

そこで、録画してはこっそり夜中に起きだして観ていました。

 

TVを自室に設置したかったですが、電気屋さんが搬入・設置してくれていた時代だった為、搬入時に揉めることは目に見えていたので、説得を何度も試みましたが

「一家に一台で十分。複数台あると家族のコミュニケーションが少なくなる。」との理由で却下されました。

しかし、「お父さんとはTVの趣味が合わないから」と言って自分用にはちゃっかりと購入していました。言う事と行動が違いすぎる超エリート毒親!!

 

「よそと違ってウチはBSも観られるから・・・」とBSを契約する人が少ない時代に自慢していましたが、「地上波で十分だから、普通に観たい」といつも思っていました。

 

25歳の娘ではなくて、いつまでも5歳の子供で親がコントロールできるって意識だったのだろうなぁ。

一人暮らし失敗

社会人にもなり、落ち着いてきたので念願の一人暮らしをしたいと思いました。

 

色々な不動産屋さんを回り いくつか候補を決めましたが、携帯電話のない時代だったので連絡先に当然 実家と会社の電話番号を記入しました。そして、不動産屋さんには

「絶対に、実家には電話をしないで欲しい。」

とお願いをしました。

しかし、不動産屋さんも商売なので、「いい物件ありました!!」と実家に電話をしたら、母親が電話を受けてしてしまい、計画がバレてしまいました。

 

「いい縁談に恵まれなくなる。」

「女の子の一人暮らしは 親不孝の始まり」

「親を見捨てるつもり?」(←いや、アンタすでに子供見捨てているだろう!!)

などなど、幼少期は放置していたのに 大人になるにつれ 過干渉になってきました。

挙句の果てには

「一生しがみついてやる。逃れられると思うな!!」とまで言われました。

 

ある日、あんなに元気だったが何故か急に母親は歩くのもやっとの状態となり、仏壇の前でずっとお経を唱えていました。

お医者さんから「今の医学では解明できないこともある。」と言われたと言っていましたが、私を実家から出さないために都合よく体調不良になったのではないか?

子供に執着するためには、体調までコントロールできる。ある意味すごい。

さすが超エリート毒親!!

 

ご近所さん・親戚中に

「見捨てると言われた(泣く)」と言いふらされ、

その結果私は、 周りの人々から責められ 周りは敵だらけ。

しかたなく、“とりあえず、一人暮らしは延期する”と言った2~3日後、母親はスキップをしていました。

 

“この母親から距離をとるのは、かなり周到に用意しないと難しい”と実感させられた出来事でした。

アンサンブルの着物

私は幼少期から着物が嫌いです。しかし、着物を着ると母親の機嫌が良くなるので仕方なく大好きなふりをして着ていました。

 

小学校3年生くらいの時、頼んでもないのにアンサンブルの着物を購入してきました。

母「お出かけの時に着ていけばいいから買ってあげたよ。」

私「着物を着ていくお出かけっていつ?」

母親「だから、お出かけよ」

私「どんなお出かけ?レストラン(ファミレス)?」

母親「レストランじゃないよ」

私「じゃあ、どこ?」

母親「お出かけって言ったら おでかけだよ」

と、怒鳴り始めたので質問を辞ました。

 

毎日、学校へ着ていくセーターの袖はボロボロで擦り切れているし、毛玉だらけ。

ズボンもツンツルテンで 小さくなったサイズに無理矢理 脚を突っ込んでいる状態。

スカートは短すぎて いつもパンツが半分近く見えている状態。

挙手した時に”ビリッ”って服が裂けた事もありました。

そんなボロボロの服ばかりでしたので、とても惨めな気持ちでした。

いつ着るかわからない嫌いな着物よりも みんなのような普通の服が欲しかったです。

 

 

風邪をひいて病院へ行くことになったある日、とうとう着物の出番がやってきました。

高熱でフラフラしながら着つけられて病院へ。

母親「あら、似合っている。やっぱり着物はいいわね」

私「・・・」

その後も 体調不良のたびに着物で病院へ行くことになりましたが、3回目くらいの時に、

医者「お母様、娘さんはとても着物を着ていられる状態ではないです。それに、診察にも時間がかかりますので、次回からは楽な洋服でお願いします。この体調でしたら、パジャマでも良いくらいですよ。」

と、言ってくださったおかげで、着物で病院へ行くことはなくなりました。

 

その後 その着物は2度と着られることもなく、40年ぶりに私が見たら、カビだらけになっており 布ゴミとして処分しました。

ソーシャルディスタンスな子供時代

今考えると、子供の頃の我が家は、ウイズコロナの生活をしていました。

お箸・コップなどの使いまわしはしない。

大皿料理は、自分の箸を使わず、取り箸を必ず使う。

なるだけ、1メートルくらい距離を開け極力近づかない。

小声で会話をするときも 唾液が飛ばない距離にする。

お金や、物は直接手渡しをしない。

・例えば、お金なら「ここに置くね」と言ってテーブルの片隅に置く等

などなど、今の時代にタイムスリップしてきても、全く違和感なく生活できます。

 

何故、このような生活をしていたかと言いますと、

人が口を付けたお箸や、コップは気持ち悪くて使えない。

人の唾液が付いた箸で触った食べ物を口にするのは嫌なので、取り箸。

距離を詰められると、危害を加えられそうで落ち着かない。

唾液が飛んできたら、単に気持ちが悪い。そもそも近づきたくない。

手渡ししていて、万が一相手の手に当たったら不快。

などの理由で 自然とソーシャルディスタンスの生活でした。

食卓に仕切りが欲しいと ずーーーーっと思っていたくらいです。

 

家族間の信頼関係がなくて、無意識に距離を取っていたのではないかなぁと今では思います。”人に触れない人は、他人を信頼していない”と聞いたこともあります。

 

不謹慎を覚悟で言いますと、コロナ禍になってお釣りが手渡しでなくなり、とても楽ですし、量販店のレジに並んでいても距離を詰められることもないし、マスクのおかげで唾液は飛んでこないし・・・楽に暮らせているのが本音です。

 

アフターコロナの生活でどうやって、人と距離を保つのか 色々と頭の中でシミュレーションをしています。