asamiXの毒親ダイアリー

人もうらやむ仲良し親子でした。 休日には、ショッピング・ランチ。 お洋服のシェア。 周りからは、若々しくステキな母と言われていました。 でも、本当は・・・ とても息苦しかったのです。

3社目の勤め先

2回目の会社の上司をメンタル的に追い込んでしまった罪悪感から退職し、しばらくは仕事をする気持ちにもなれませんでした。今でいう引きこもりのような生活をしている私に 母親は喜んでいるようでした。

しかし、毎日母親と同じ空気を吸っていくわけにもいけません。ハローワークに通い就職活動を始めました。本当は、正社員で働きたかったですが、また上司を追い込んではいけないので、アルバイトでもいいかなと思っていました。とにかく、平和に働きたかったのです。

 

ある時、期間限定のアルバイトですが、母親の知人の会社が求人をしているとの事でそちらへ応募しました。ここなら、万が一迷惑をかけても知人なのでダメージが少ないと思いました。

 

無事採用となり、職場環境も良く働きやすかったのですが・・・

案の定、母親は2~3日おきに知人へ連絡をして勤務状況を聴取し始めました。そうなると、もうその知人の方に見張りをされている気分になってきました。

 

いつも見張られている。そんな被害者妄想を持つようになりました。

職場に行くだけで、息が苦しくなりました。

 

無事、任期が満了し契約期間が終わり逃げるように辞めました。

今思えば、その方も色々と聞かれるので答えるネタを探すのに 困っていたと思います。

 

自分がどんな仕事をしたいか?何ができるかではなく、

誰にも迷惑をかけず、平和に働ける職場はないか?

そういう目線で次の仕事を探すことにしました。

主任メンタルがやられる

2社目の就職先での出来事です。

仕事はハードな面もありましたが、母親に会社訪問されることもなく、平和な日々が過ぎていきました。専門的な仕事という事もあり、帰宅後仕事に関する事を自宅で勉強することもありました。

”24時間戦えますか?”の時代だったので、もちろん残業もありました。

 

しかし、母親はそんな私の生活が気に入りません。

「女は男に養われてこそ」「女が仕事をそんなにするのは恥」などと文句を言われましたが、文句を言われるのには慣れていたので、聞き流していました。

 

母親は想定外の手段に出ました。

 

電話帳を片手に片っ端から主任と同じ苗字の人に電話をし 「A社にお勤めのNさんのお家?」と聞いてまわり とうとう主任の電話番号を見つけてしまいました。

 

それからは ほぼ毎日主任のご自宅への電話攻撃が始まりました。

「ウチの娘に変な仕事はさせるな」

「ウチの娘がお宅で働いてあげているのがわからないのか」

「他の人と同じ扱いをするな」

などなど 支離滅裂な事を言っていたようです。

 

なぜ私がこの事を知っているかというと 主任より「お母様は電話が好きなの?」と聞かれたことをきっかけに 主任の愚痴を聞いていた方に教えていただきました。

もちろん、主任のお宅への電話は控えるように母親への説得を試みましたが 無理でした。

 

だんだんと主任の様子がおかしくなりました。

職場でも電話が怖くなり取れないというのです。

ある日突然、「もうなんなの。うちの娘は働いてあげているって・・・」と叫んだかと思うと泣き出したのです。今思うと メンタルがやられてしまったのでしょう。

 

主任の様子がおかしくなったことで、他の人から距離を取られるようになりました。

辞める以外の選択肢はありませんでした。

就職先へ勝手に挨拶に行く

短大卒業前に 就職も決まりホッとしていたのも束の間、母親が「就職先へ菓子折りを持って挨拶へ行きたい」と恐ろしい事を言い始めました。当時の就職に関する雑誌を見せ、親が就職先へ挨拶に行く風習はないと説得しましたが、「ウチはよそとは違ってちゃんとしている家庭なの。だから挨拶に行く。あなたが仕事をやりやすくする為よ。」と言って聞き入れません。

 

本当に菓子折りを持って会社訪問してしまいました。

 

入社した時には、「あー、お母様がご挨拶に来てくださった子ね。」と何人かに言われました。

他の新入社員には 厳しい指導をしている上司も私には甘いのです。とても居場所のなさを感じました。

 

後ほど先輩が教えてくれたのですが、母親が挨拶に来た新入社員は前例(創立70年は経っていたと思います)がなく、社内(500人程度)中の噂になっていたようです。

先輩方も普通にランチに誘ってよいのかどうかさえ 迷われたそうです。

 

時々、部長から「昨日 お母様からお電話をいただいたよ。心配されているのだね。」と言われました。母親は「皆さんにご迷惑をかけていないか心配で電話しているだけ」といっていましたが、その電話が皆さんの迷惑になるとは思ってはいなかったようです。

わざわざ、上司のご自宅にまで 電話をしていたのです。

 

ミスをしても叱られることもありません。そもそもミスをしないように大切な仕事はさせてもらえませんでした。同期はそれぞれ仕事を覚えて それなりの仕事をするようになりましたが、私は、まるでドラマに出てくるコネ採用のボンクラ息子のような立ち位置でした。

ほとんど やることがありませんでした。いや、何かをしようとしても 止められました。

 

居場所もなく、居心地も悪くなり、次の仕事を見つけて退職を決めました。

 

上司•先輩の立場で考えると、こんな新入社員 扱いづらいですね。『辞めてくれてうれしい』が、本音だったのではないかと思います。

アルバイトを勝手に退職させられた

短大へ通っていた頃、お小遣いはもちろん将来へ向けて貯金をしたく アルバイトを始めました。

 

最初は順調でしたが、1回目のバイト代が入金された頃「普通の子だったらバイト代は親へ感謝の気持ちとして渡すもの」と母親に言われましたが、感謝の気持ちもないので無視をして渡しませんでした。大人になった今考えても、生活に困窮していたわけでもないですから、子どものバイト代を欲しがる母親が銭ゲバです。

 

ある日 バイトへ行くと店長が血相を変えてやってきました。

店長「お母様から 連絡があった。今日を最後に辞めるとはどういうことだ?いくら何でも急すぎないか?」

どうやら、バイト代も渡さないのであれば、私の生活にバイトは必要なしと判断した母親が勝手に、退職をさせようとしているようです。

私「すみません。親の意向には逆らえないので、辞めます。でも、急すぎるのでもう少しはバイトしたいです。」

店長「・・・」

私「迷惑かけます。すみません」

店長「急に辞めるは非常識だと、お母様に伝えてください。」

店長としても、トラブルメーカーの子供は預かれないと判断したのでしょう。

 

帰宅後、

母親「あんなくだらないバイトはする必要なし。お母さんが辞められるように連絡してあげたのよ。感謝しなさい。」

私「バイトしても良いと許可をもらったよね。それに辞めるのなら、自分の口から言いたかった。急すぎるから、お店も困っているよ。」

母親「もう行かなくていいでしょ。」

私「残りのシフトは行くよ。いくら何でも急すぎるよ。迷惑をかけているよ」

母親「せっかく言ってあげたのに・・・」

 

社会経験のほとんどない状態でも、店長の言っていることの方が正しく、母親のやっていることはおかしいと思いました。

アルバイトすら まともにできない状態でした。

この時はまだ、就職後はもっと大変な事になるとは 全く想像していませんでした。

過干渉になってきた理由

小さな頃から自立を促すという理由をつけて、ネグレクト気味に育てられました。

 

母親はPTA活動はしない、学校行事にも無関心、参観日に来ても周りの父兄のファッションチェックに夢中で子供を観ていない、塾の面談にも行かない、当然 悩みを聞いてくれたことなどありません。突然の雨の時に迎えに来てくれたことなど ありません。

 

しかし、弟が高校を卒業するタイミングで実家を離れることになりました。

その後 状況が一変しました。

私に無関心だった母親が、まとわりついて来るようになったのです。

 

私は成人をしていましたので、そろそろ一人暮らしをしたいと思っていました。そのために貯金をしたくて、実家から通勤をしていました。

 

「女の子だから心配なの」と親らしい事を言っていましたが、私としては「いまさら何?」と思っていました。しかし、軍資金が貯まるまでは我慢するしかありません。「女の子が自立なんてみっともない。養われて当然なのよ」とも言われました。

 

弟がいなくなって寂しくなったのか、ヘビのような執着心で絡みついてきました。ちょっとでも、帰宅が遅くなりそうな時は、必ず連絡しないと帰宅後 説教の嵐でした。今の時代でしたら、スマホの着信履歴が20件のレベルでしょう。

そっとしておいて欲しい、関わらないで欲しいという気持ちでいっぱいでした。

どうやったら逃げられるか本格的に考え始めました。

 

子どもへのかかわり方も不適切でしたが、関わる時期も不適切でしたね。

子供をアクセサリーのように思っていたのだと思います。

学校からのおたより

小学生の頃、連絡帳や学校からのおたよりに親がサイン又は認印を押印して返送するという事がありました。

しかし、母親は「わざわざ親の押印が必要なんて、面倒くさい。なんて先生なの」といって押印をしてくれませんでした。父親へ押印を頼めば良いと思われるでしょうが、直接父親へ学校関係の事をお願いするのは、母親から禁止をされていました。

いつも母親の目を盗んでは、自分で押印をしていました。

押印をするたびに、先生へ嘘をついている罪悪感と本当に親に必要とされていない存在だと思い知らされて みじめでした。

学校からのおたよりも ほとんど読んでくれてはいなかったと思います。

 

ある時、学校から ”子どもが勝手に押印することもありますので、直筆のサインでお願いします。”と通達がありました。当然、母親は「字を書くなんて面倒なのに!!!」と烈火のごとく学校へ怒りの矛先が向かいました。そして、クレームの電話を入れました。「教育委員会へ訴える」などと、理不尽に電話口で怒鳴り散らしていたのを覚えています。

 

必要な連絡事項に目を通さない保護者がいるから、学校側も「直筆で」と言われたのだと思います。

10分あればできるのではないかと思います。

 

当然、色々な諸事情があり時間的余裕もない方もいるとは思いますが、毎日好き勝手に暮らしているような人に 連絡事項に目を通しサインをする時間がないとは全く思いません。無いのは、時間ではなく子への愛情だと思います。

 

感動しない子供時代

小学校入学前の頃、物語の内容は忘れましたが、主人公が失敗してもチャレンジして頑張るというアニメを観ていました。

その頑張る姿に感動し、涙を流しながら観ていました。すると、「こんな最後が判り切っているアニメを観て泣くなんて馬鹿なの?」と言われ次に「うっとうしい」と捨て台詞が飛んできました。私は、TVを観て泣くことは悪い事だと考え それ以降ドラマを観ても泣くことはありませんでした。

 

大人になり実家暮らしをしていた頃、母親とドラマを観ていた時に、「こんな感動的な母親の愛情がわからないなんて、アンタ本当に薄情なのね」と目を真っ赤にして言われましたが、「別に何も思わない」とだけ返答しました。

 

自分の感情を感じない生活を積み重ねた結果、感動的なものが何かわからなくなってきていたのだと思います。

 

年齢を重ねたせいなのか、絶縁をした結果なのかわかりませんが、最近ではドラマを観て勘当し、涙することも多くなりました。

小さな頃に親から言われた何気ない言葉が、これほどにも子どもの時の心を傷つけていたのだと 改めて実感しました。