加害者の気持ちを想像してみた
母親とまだ交流があった数年前、虐待の報道があると
「何で殺すまでやるのかな?その手前でやめないと次ができないからダメだよ。」
「確かに楽しいけど、快楽に負けてはダメ。楽しい事を続けたければ、ある程度の我慢は必要。」
と上から目線で、報道される虐待親をジャッジしていました。
さすがは超エリート毒親、思考が一般人とは違いすぎます。
「しつけしているだけなのに今の時代は虐待って世間が騒ぐから、気の毒。昔は良かったよ。」
「法律が変わって、しつけが虐待ってなっただけだから、私のしたことは虐待ではない。」
などと、ぶっとんだ発言をしていました。
うわー!!!私、貴女に何度も殺されると覚悟を決めましたよ。
昭和の”ビンタは親の愛”の時代に、児童相談所の職員さんが訪問してくれましたよ。
そこで、母親の気持ちを想像してみました。
しつけをするために、子供の目線になって諭して根気よく教えるという手間のかかる方法ではなく、即効性のある暴力を選びました。
幼い子供は怖いので、言う事を聞きます。
ビンタは親の愛の時代だったし 最初はしつけだったのでしょうが、ビビる我が子を見て快楽を覚えたのだと思います。日々の溜まったストレスも発散できたでしょう。
自分が家庭内で天下をとった気分になり、女王様気質の母親にとって、常に自分の意のままになる家来がいるのは楽しかったと思います。
子育てをしていると、ついつい手をあげることは誰でもあると思いますが、そこでストレス発散できたと気が付いてしまい 快楽まで覚えてしまう。
こうなると、親自身の心の問題として何らかの対処が必要かと思います。
諭すのではなく暴力によるしつけ。
自分のストレスを弱い者に向けて発散。
とてもお手軽ですが、その代償は大きいと思います。