asamiXの毒親ダイアリー

人もうらやむ仲良し親子でした。 休日には、ショッピング・ランチ。 お洋服のシェア。 周りからは、若々しくステキな母と言われていました。 でも、本当は・・・ とても息苦しかったのです。

親子ダンス

古い写真の整理をしていると、母親とのダンスの時に撮影された、目が死人のような写真が出てきました。

 

幼稚園最後の運動会で、”親子ダンス”というものがあり、親子で手を取り合ってダンスするという行事でしたが、とても嫌でした。

 

・・・・・・・

満面の笑みでフリフリのワンピースを着てハイヒールで近寄ってくる母親に手を差し出され、恐る恐る手をのせると握られて、ダンスが始まりました。

『逃げたい!地獄だ!苦痛でしかない!気持ち悪い!早く終わって欲しい!』

そのような叫び声が心の中から響いてきました。

『嫌じゃないの?気持ち悪くないの?なぜ、楽しそうなの?』

他のお友達は楽しそうに踊っていますが、何故、親と手を握りあって楽しいのか不思議な気持ちでその光景を眺めていました。

 

楽しそうなフリをしないと、後で母親に何をされるかわかりません。

でも、どうやったら楽しそうに見えるのだろう?

とにかく、手を離して欲しい。先生助けて!

そんな事を考えながら、そのダンスの時間を耐え忍びました。

・・・・・・・

 

何枚かの写真を見てみると、他の親子は本当に楽しそうで、保護者はTシャツにジーンズ・スニーカーのような動きやすい恰好をしていました。それなのに、何故かウチの母親だけフリフリのワンピースにハイヒールというデパートにでも行きそうな服装でした。

運動会の役員をした経験から、ハイヒールでボコボコにされた運動場の整備は大変だっただろうと推測します。

本当に、自分の事しか考えない人間だと改めて思いました。

 

この時にはもうすでに、親子関係は破綻していたのでしょう。

親と、手を繋ぎたくない幼稚園児。十分におかしいと思います。

マッチで火あぶり???

私が子供の頃のガス台は、今のように電池で点火するようなものではなく、マッチを使って点火するものでした。

そのため、我が家には常に大きなマッチ箱がありました。

 

時々ですが、母親は罰を与えるという名目でマッチ箱を持って火を押し付けようと私を追いかけまわしてきました。

これは、本当に脅しのつもりだったと思います。

本当に火を押し付けたら 虐待の証拠となる火傷が残るので、本気ではなかったと思います。

 

しかし、当時の私にはそんなことは判るはずもなく、本気で怖かったです。

そこで、考えました。

購入したてのマッチが湿気で点かないのはおかしいので、使用して3分の1ほど減ったら少量のマッチを濡らす。

という方法でした。

すべて、濡らすと新しい物を購入することになるので、何本かに1本ハズレを作ったのです。

母親がトイレに行っている間など、隙をみつけてはセッセと濡らしました。

 

ある時、母親がポツリと

「何で マッチが点かないのかな?水が飛び散っているのかな?」

と言っていました。ちょっと、焦りましたが聞き流しました。

 

数日後購入店で、なんと驚いたことに

母親「この店のマッチどうなっているの?はじめはちゃんと使えるのに途中から湿って使えない物が混ざっている。不良品でしょう!!!」

とわめき散らし始めました。

理不尽なクレーマー相手に謝罪を続ける店員さん。

『おじさん、ごめんなさい。犯人は私です。』

と 心の中でつぶやいていました。

店員さん「水場の近くにマッチを置いていませんでしたか?水が飛び散って湿ってしまうことがあります。置き場所を変えてみてください。」

と提案されました。しかし、日本語が通じないのが毒系クレーマー。

店内は散々な状態になりました。

 

大人になって、チャッカマンなど点灯用具を見ては、

「子供時代にこれがなくて良かった」

とつくづく思いました。

子供のお年玉横領疑惑

子供時代、お年玉をもらうと

「お母さんが預かってあげる。」

と母親は優しい顔でお年玉をその場で、自分のバッグに収めていました。

しかし、一度も返してもらった事はないです。

 

1~2月は キレイなお洋服や高価な化粧品を購入しては、

「いいでしょう。〇〇円だったのよ。やっぱり高い物はいいねぇ。△△ちゃんのママなんかいつも安物を着ているわ。惨めやね。」

と変な自慢をしていました。

母親が使った金額を合計すると、私と弟くんの預けたお年玉の金額とほぼ一致していました。

 

ある時、

「お年玉は お母さんに預けたもの。ノートなど買いたい物があるから、全額でなくてもいいから返して欲しい。」

と訴えました。しかし、

「年末年始は、ご馳走を食べたりするからお金がいるの。よその子供にもお年玉をあげたりするから、その分をよその人からもらったお年玉でおぎなう必要があるのよ。」

と、理由をつけて返してくれませんでした。

 

でも、父親から年末年始の資金として別途お金を受け取っていたのを 私は知っていました。

だから、母親の言い分は理由として成立ないのではないかと 小学生なりにも思いました。

別途年末年始資金をもらっていたわけですから、多少は返金できたと思います。

そのお年玉を私たち子供の将来のための資金として預金をしていたわけでもありません。

 

本当は全額返却して欲しかったのですが、母親の性格を考えると全額は難しいと思い、一部だけの返金を私は求めていたわけです。

 

私も家庭をもってから、改めて母親にお年玉の行方を聞きました。すると、

「生活が苦しかったから、生活に使った。アンタもわかるでしょ?」

との返答をもらいました。

言い訳だけは 立派です。使い込んだとは言いません。

 

親が、預かって管理をすることはあると思いますが、

お年玉は子供の財産ではないですか?

使い込むのは横領ではないでしょうか?

強風の恐怖

人生も折り返し地点を過ぎたというのに、夏の台風は以外と平気ですが、未だに冬の風の強いなど天候が悪い日は恐怖を感じます。

そんな時は 予定変更が可能ならば、お出かけをやめますが、どうしても出かけなければならない場合は、自家用車を使います。贅沢にもタクシーを使う時すらあります。

それぐらい、恐怖なのです。強風が・・・

冬は、夜のお出かけもしません。忘年会も極力お断りさせていただいています。

冬の夜も闇に飲み込まれそうな気がして、苦手なのです。

 

4~5歳くらいの頃だったと思います。

風の強い真冬の真っ暗な夜、裸同然の格好で外に放置されたことが何度かあります。

子供心には、

”暴風の中 一晩中 放置された”

という感じ方でしたが、実際には 風が強い日に 20~30分程度だったと思います。

雪国ではなく 暖かい地方なのですが、それでも真冬の夜に裸は・・・寒いです。

 

風に飛ばされない様に、必死で門扉にしがみついていました。

もう、寒さと恐怖で気が狂いそうでした。

すごい力でしがみついていたので、手がしびれてきました。

「助けて」

と叫びましたが、風の音でかき消されていつも助けに来てくれる近所のおばちゃんの耳にも届きませんでした。いや、もしかしたら、おばちゃんは留守だったのかもしれません。

 

「うるさい!泣くな!」

家の中から、母親が怒鳴りました。

家の中からは、少し明かりが漏れてきています。

 

もう、一生家の中には入れない。

本当のお母さんがお迎えに来るまで もう我慢はできない。

だったら、風に飛ばされて消えてしまおうかと思いました。

でも、飛ばされることはありませんでした。

 

真っ暗な夜に放置される度に、自分が見捨てられている存在だと思い知らされました。

いつまで、こんな仕打ちに耐えたらいいのだろうか?

早く継母から逃げたい。本当のお母さんはいつ迎えに来てくれるのだろう?

幼いながらに思い、来るはずもないやさしい母親のお迎えを待っていたのでした。

腐った牛乳

私が中学生の頃の話です。

どこで入手したのかは分かりませんが、母親は”牛乳風呂に入ってお肌の手入れをする”ということで、廃棄処分になった牛乳をいただいていました。

確かに牛乳風呂にもしていましが、主に私に飲ませるためでした。

母親と弟くんは、体質的に牛乳が合わないので飲みません。

 

コップに移すと真っ白ではなく、ベージュのような色でした。味は、酸っぱく時には苦みさえありました。のど越しは とろみがあり、時にはツブツブみたいな物もありました。

 

「これは、酸っぱいし色も変。腐っているのではないの?飲みたくない」

と私が言うと、

「せっかく、アンタの為にもらってきてあげたのだから、贅沢言わずに飲みなさい。コレをみんな飲んでいる。そんな文句を言う子はアンタだけだ。」

とマシンガンのように 怒鳴り散らします。

 

母親に出されたものを口にしないという事は、次回以降の食事はもらえない事を意味します。

しかたなく、口にしました。

何とか、喉を通過することもありました。

口に含んでバレないように、トイレで吐き出したこともあります。

強烈な苦みの時は、思わず噴き出したこともあります。その時は、

「本当に、食べ物を粗末にする」

と とても叱られました。

 

しかしある日、お腹が弱い父親が間違って少量ですが飲んでしまったのです。

当然、父親は一日をトイレで過ごすこととなりました。

「何で、こんな腐った物が冷蔵庫にあるのだ?」

と父親が母親に尋ねたら

母親「あさみの牛乳を お父さんが飲むからいけないのでしょう」
父親「こんな、味の変わった物を子供に飲ませているのか?腐った物は子供に食べさせるな!!もう、牛乳はもらってくるな。買ってこい!!」

と、毒父ながらまともな事を言っていました。

 

父親のおかげで、腐った牛乳を飲まなくても良くなりましたが、そのトラウマのせいなのか それ以降 何かに混ぜると飲めますが、牛乳だけでは飲めなくなりました。

悲しい成人式

毎年、新成人の成人式の報道を見るたびに、みじめでつらかった成人式を思い出します。

 

中学3年生の進路を決めるという大切な時期に我が家で大騒ぎしていたのは、成人式の着物についてでした。母親の言い分としては、

「生地を選び仕立ててもらい、帯を決めて小物を選んでいると今からでは遅いくらい。」

との事でしたが、5年もかかりますかね???

母親が自分の好みの着物を勝手に選び・・・という全て自分の思い通りになるように 取り仕切っていました。

私の成人式なので思い切って

「洋服が着たい。洋服がダメなら赤とかピンクとかの華やかな色の着物が着たい。」

と 私の意見を言いましたが、

「赤?ピンク? それは お母さんの好みではないからダメ。」

と話しすら聞いてはもらえません。

 

それからというもの、母親の成人式への暴走は止まりませんでした。

高校卒業後

「成人式に向けて髪を伸ばしなさい」

と命令が下りましたが、式の4か月前に反抗心もありショートカットにしました。

母親は大激怒しましたが、今のように付け毛など一般的ではなく、地毛が当たり前の時代でしたので、どうしようもありませんでした。

 

私の気持ちを察した友人たちに

「親孝行と思って、1日お母さんに付き合ってあげようよ。ガンバレ!!」

と声をかけてもらい 式典に参加しました。

周りの人は 流行りのスーツを着ていたり、華やかな着物を着ていたりしているのに

自分の気持ちにそぐわない着衣のためか とても惨めな気持ちでした。

 

事前相談もなく(本来なら、取り仕切っている人が相談すべきと思います。)成人式当日になって急に、送迎・写真撮影など1日中付き合わされた父親が帰路に

「もう、めんどくさい」

と怒り始めました。その時、

「お父さんは今日1日だけでしょう。私は、5年も耐えたんだよ。」

と父親に怒鳴り返していました。

 

言論の自由のない我が家でできた 私なりの精一杯の一言でした。