asamiXの毒親ダイアリー

人もうらやむ仲良し親子でした。 休日には、ショッピング・ランチ。 お洋服のシェア。 周りからは、若々しくステキな母と言われていました。 でも、本当は・・・ とても息苦しかったのです。

サラダなどを食べる時

子供時代の我が家では、サラダなどを食べる時に、自分の好みのドレッシングなどをかけるのは、許される事ではなかった。何をかけて食べたらよいかと聞いたら、「状況を読む力がなさすぎる」との理由で叱られるし、何もつけないのは「ドレッシングをかける楽しみを放棄している」ということで逆鱗に触れる。

 

どうやって選択してきたかというと、いくつかテーブルに並んでいるドレッシングを見る母の視線で選んで欲しそうな物を選択するという方法で対応してきた。

選択に難易度を極めるのが、弟にはAを選んで欲しいが、私にはBを選んで欲しいという場合。

母と同じものを選んだら、喜んでもらえる時もあるが、「人まねをした」と激怒されることもある。

 

そして、ドレッシングの選択に失敗したら、

シバキ倒される、ごはんなし、イヤミの嵐 などの被害を被る。

安全な食事はなくなる。

 

これは、サラダだけでなく、焼きナスにポン酢をかけるか 醤油をかけるか等の場合にも起こる。お肉に焼き肉のタレなのか、ソースなのか・・・などなど

 

好きなものを好きなようにかけて 食事をしてきた人には全く訳のわからない話だと思うが、いちいち、空気を読まないといけないという緊張感で何を食べても味は同じ。つまり、味わう余裕がないから、味はわからない。食事は味わうものではなくて、エネルギーを補給するだけの行為だった。