asamiXの毒親ダイアリー

人もうらやむ仲良し親子でした。 休日には、ショッピング・ランチ。 お洋服のシェア。 周りからは、若々しくステキな母と言われていました。 でも、本当は・・・ とても息苦しかったのです。

ステイタスシンボル

幼少期の買い物などの外出時、

私「お手手つないでいい?」

母親「バック持っているよ。日傘も差すのよ。どうやったら、手が繋げるの?うっとうしい子」

と、拒絶されていた。だから、いつも母親の後ろをトボトボと歩いていた。

 

道の対面からは、手を繋いだ親子がやってくる。親と手を繋いでいる子供はどこか誇らしげに見えた。その頃の私には、親子の手繋ぎは親に大切にされているという一種のステイタスシンボルのように思えた。

 

だから、そんな親子が目の前に現れると、惨めな気持ちになり 電柱などの陰に隠れてやり過ごしていた。

 

ある日 母親と出かけて帰宅するのが、夜になり交通量の多い道を歩かなければならなくなった。

母親「あさみ 危ないから手を繋ごうか?」

念願の手繋ぎが実行された。この幸せな瞬間を世界中の人に見て欲しかったが、あたりは真っ暗。誰にも見てもらえなかったが、とてもうれしかった。

 

しかし、しばらくすると足(かかと)が痛くなった。後で、わかったことだが、靴ズレを起こしていた。でも、ここで

「足が痛い」などと言えば、絶対に怒られるだろう。第一、二度と手も繋いでもらえない。このぐらいの痛さなら我慢できるので、我慢することにして 手繋ぎを優先した。

 

翌朝、母親は血で真っ赤に染まった私の靴を発見し、「あーあー、せっかくの靴が・・・台無し」と落胆していた。

子供のかかとの心配はしてない。昨晩お風呂に入れる時点で、子供のかかとの変化に気づきそうだが、全く気が付いていない。

 

私が覚えていないだけで、よちよち歩きの頃などは手繋ぎをしていたと思われるが、唯一の手繋ぎの思い出はこの時だけ。そして、母親にしてもらった良い思い出として今でも心に残っている。